境内はこじんまり、社殿は少し艶やかなかつての遊女たちのお参りの場です。彼女たちは外界から隔離されつつもここで懸命に生きたのだろうなと思ったりする場所です。
住所 | 東京都台東区千束3-20-2 |
アクセス | 入谷駅(東京メトロ日比谷線)から徒歩12分 浅草駅(つくばエクスプレス)から徒歩10分 |
ぶら旅メモ | 浅草をめぐりつつ七福神に参拝 |
関連リンク | 吉原神社公式サイト |
遊女たちの参拝先
実は比較的新しい神社
吉原神社がこの地に創建されたのは明治5年(1872年)です。吉原というと時代劇のイメージから江戸時代を思い起こしますがこの神社の始まりは明治です。
吉原は江戸時代に歓楽街となりましたが、その時代の吉原では5つの稲荷社が遊女たちの信仰を集めていました。
「新吉原」には廓の守護神として五つの稲荷社が存在しました。吉原の入口である大門(おおもん)の手前に「玄徳(よしとく)稲荷社(吉徳稲荷社)」、さらに廓内の四隅には「榎本稲荷社」「明石稲荷社」「開運稲荷社」「九郎助稲荷社」がお祀りされていました。
吉原神社のご紹介|吉原神社
そして時代は流れて明治となり、神仏習合などのうねりの中で5社は合祀されて吉原神社となりました。なので創建は明治と言いつつも江戸時代から遊女の祈願を受け止めてきた神社といえます。
ちなみに明治の吉原神社は吉原大門のそばにありましたが関東大震災で消失したため、昭和9年(1934年)に現在地に再建されています。
吉原遊郭は江戸幕府公認の遊郭
吉原の歓楽街すなわち吉原遊郭について少し書き記しておきます。
元和3年(1617年)に武家崩れの町人が幕府の許可を得て江戸市中の遊女屋を集めたのが始まりです。
堀で周りを囲い出入りできるのは吉原大門の1カ所だけの閉じた世界でした。その中で花魁を筆頭とする遊女たちが物見遊山な江戸町民と華やかさと影が入り混じる日々を重ねていました。
明治維新を経て世相が変わるも変わらない人間の欲望とともにそこに在り続けていましたが、第二次大戦終戦後、社会の価値観と法制度の大きな変革を受けて、昭和32年(1957)春、吉原遊郭はその足跡を残すことなく歴史を閉じています。
鳥居のすぐ先の社殿に参拝
境内は狭く鳥居から10数歩進めば拝殿の前です。拝殿は色彩豊かでどことなく艶やかです。
参拝はあっという間に終わるので社務所で御朱印をもらうのも良いでしょう。この後に書きますが吉原弁財天が離れに合祀されていて、そちらの御朱印は勢いのあるもので参拝の記念になります。
境内の隅には吉原遊郭の絵地図が飾られていて見たこともない昔の吉原を想像することもできます。この絵地図は吉原今昔図といって社務所で販売しています。
離れに吉原弁財天を合祀
道路を挟んだ向かいに吉原弁財天があります。合祀されていて管理や御朱印授与は吉原神社の社務所が行っています。
その境内には歴史を解説する瓦版があったりオリエンタルな壁画があったりで華やかです。遊女が佇んだところなんだろうなという雰囲気があります。
地下鉄の駅から徒歩でアクセス
入谷駅と浅草駅が最寄駅で徒歩10~12分で境内に到着します。入谷駅から向かう方が近く道も分かりやすいです。浅草駅はつくばエクスプレスの方で東武や都営地下鉄の浅草駅ではありません。
駐車場は一切ありません。
隣の台東病院に台東区循環バス「めぐりん」のバス停があるので、バス好きはJR鶯谷駅やJR上野駅から「めぐりん」でのアクセスがおすすめです。
寄り道情報
鷲神社と浅草名所七福神
酉の市の発祥をうたう鷲神社まで徒歩数分です。
吉原神社は弁財天を祀っていますが鷲神社を含む周辺の神社を回れば七福神を全て巡ることができます。浅草名所七福神巡りと言います。
七福神なのに何故か行き先が九社あるのは日本の神様は大らかということで。
吉原大門へ
せっかく吉原に来たのであれば遊郭の入口だった吉原大門まで歩くことをおすすめします。
昼間に参拝してから歩いていくと人通りがまるでない静かな通りでしかありませんし、 吉原大門は何の痕跡もなく信号機に表示板があるだけの単なる交差点ですが、吉原神社から吉原大門の間は正に昔の吉原遊郭のメインストリートに当たります。
時の流れは全てのものを歴史に変えながら消し去っていく、そんな感慨があるかもしれません。
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